新百合ヶ丘総合病院 名誉院長・内閣官房参与・慶應義塾大学 名誉教授 吉村 泰典 先生に聞く
生殖・周産期医療と未来へのビジョン
周産期医療の受益者は明日の社会そのもの
新百合ヶ丘総合病院 名誉院長
内閣官房参与(少子化対策・子育て支援担当)
福島県立医科大学 副学長
慶應義塾大学 名誉教授
一般社団法人 吉村やすのり生命(いのち)の環境研究所 代表理事
吉村 泰典 先生
Dr. Yasunori Yoshimura
【 専門科目 】 |
【 吉村泰典先生の主な学会外活動 】
●厚生科学審議会専門委員 ●法制審議会委員 ●内閣府総合科学技術会議専門委員 ●文部科学省科学技術・学術審議会専門委員 ●日本学術会議生殖補助医療の在り方検討委員会委員 などを歴任
2013年 一般社団法人 吉村やすのり生命(いのち)の環境研究所 代表理事
2013年 内閣官房参与(少子化対策・子育て支援担当)
生殖医療の第一人者として、吉村泰典先生はこれまでに3000人以上の不妊症の患者さんを治療し、5000人以上の出産に立ち会ってこられました。
その業績は多岐にわたり、日本産科婦人科学会理事長として産科医療への刑事介入事件「福島県立大野病院問題」の解決に奔走、周産期医療の環境整備と医療従事者の待遇改善に力を尽くすとともに、特定不妊治療費助成制度の確立や、出産育児一時金、妊婦健診の公的助成の増額などを通して危機に瀕した周産期医療を建て直し、現在は、新百合ヶ丘総合病院名誉院長に就任、内閣官房参与として、少子化対策・子育て支援などの政策立案に取り組んでいます。
「周産期医療の受益者は、明日の社会そのもの」と言う吉村泰典先生に、周産期医療の現状や生殖医療の課題、そして「産みやすく、育てやすい社会」を実現するために求められる国の施策などについてお話し頂きました。
子供が欲しいのに、なかなかできない
そんな不妊症の患者さんの治療が専門
専門は生殖医療です。簡単に言うと、不妊で悩む皆さんがどうやって赤ちゃんをつくるか、という不妊治療です。
慶應義塾大学に赴任する前は、杏林大学や藤田保健衛生大学で婦人科のがんの手術もしていました。渡邉一夫理事長とは、その頃に親しくなり、現在に至っています。
新百合ヶ丘総合病院の産婦人科は、〝女性の生涯にわたる悩みに応えうる診療〟を理念としています。副院長で産婦人科部長の浅田弘法先生を中心に、開院以来、体外受精や顕微授精による妊娠数はおよそ500人を数え、手術件数は年間1000件ほど。腹腔鏡下手術では日本でもトップクラスを目指しています。
婦人科の代表的な疾患には、子宮内膜症、子宮筋腫、子宮頸がん、体がんなどがありますが、それらは腹腔鏡下手術の適応になります。
日本で最近増えているのは、子宮内膜症の患者さんです。これは女性のライフスタイルの変化、晩婚晩産化の影響によるものと考えられ、子どもさんが産める性成熟期にある女性の実に10人に1人が子宮内膜症と言われています。主な症状は、不妊と生理痛です。
不妊症で体外受精を行っても、成功するのは40歳だと10人に1人。45歳では100人に1人です。皆さん、いくつになっても、生理、月経があるうちは赤ちゃんを産めると思っているかもしれませんが、それは間違いです。年齢が重要な因子であり、そうしたことを知らせる教育も大事ですね。
生まれてくる子どもが親とともに
幸せを分かち合えることが、生殖医療の目的
周産期医療や生殖補助医療を専門にしていると、生命の萌芽から、誕生、つまり「子どもを持つ」ということを、とても真剣に考えます。
通常の夫婦であれば、結婚して子どもができる。けれども子どもができない人たちもいます。その時に、精子や卵子を第三者からもらって子どもを産んだり、子宮に病気があればほかの女性に子どもを産んでもらう代理懐胎(代理出産)が、今の医学では可能になりました。
これまでは、卵子がお腹の外に出ることはなく、子どもは産んだ女性の子どもでした。ところが、子宮も卵巣もない人が子どもを持つことができる。あるいは、卵子をもらって、夫の精子で受精卵を作ることができる。それを他人に移植して産んでもらえば、子どもができる。そういう時代になると、倫理に関わる医療の導入にあたっては、法整備やガイドラインの定めがなくてはなりません。
私はAIDに取り組んできました。精子がない男性にドナーの精子を使って人工授精するものです。夫婦間なら、同意した夫が父親になります。ところが、性同一性障害の場合は、生まれた子は嫡出子にならないというのが法務省の見解です。困ってしまうのは、子どもです。子どもには何の罪もありません。日本には親が誰かを規定する法律がないのです。ですから、法律をつくろうと20年くらい取り組んでいるのですが、未だにできない。しかし、親が誰かを決めないと大変です。
生殖医療の目的は、生まれた子どもが幸せな人生を送り、親とともに幸せを分かち合えることです。生まれてくる子どもこそが生殖医療の主役であり、そうした視点から課題や問題点を最大限に考えた上で、こうした医療を進めていかなければなりません。体外受精は不妊で悩む皆さんにとって、大きな福音です。しかし、ローマカソリックは生命の萌芽を操作するということで反対してきました。今、世界ではいろいろな問題が起きていて、アメリカでは生まれた子どもが親を訴えるというケースもあります。
医療を考えるとき、あなたがもしも胃がんになれば、お話をし、同意を得て、胃がんの手術ができます。インフォームドコンセントですね。ところが、生殖医療は子どもを生むための医療であり、子どもの同意を得ることは絶対にできません。それが生殖医療がほかの医療と違うところであり、大きな特殊性です。
日本では代理懐胎は基本的に行われていません。日本産科婦人科学会は自主規制しています。だから、アメリカに比べて遅れているのではないか、と考える方もいるかもしれませんが、それはひとつの〝見識〟だと思います。国民のコンセンサスを得て制御することが大事です。
日本は、そういう意味で成熟した生殖医療を行っていると思います。何でもありのアメリカよりは、圧倒的に素晴らしい。(笑)
日本産科婦人科学会理事長として
産科医療最大の危機を乗り越える
日本産科婦人科学会の理事長をしていたときは、大変でした。周産期医療は崩壊寸前。危機に瀕した産科医療をどう建てなおしていくか、難しい課題でした。
ちょうど「福島県立大野病院事件」が起きた頃です。この事件はマスコミや国民の声で無罪になり、本当にほっとしたのですが、続いて東京都内で妊婦の「たらい回し」事件が起きました。
訴訟リスクの高い産科は若い医師から敬遠され、現場では医師不足で過重労働になり、患者を診れない。すると「たらい回し」が起きてしまいます。
当時の都立病院は待遇が悪く、人もいない状況でした。都は、都立病院でお産ができなくなったら大変だと危機感を抱き、当時の石原慎太郎都知事との面談を申し入れてきました。
そこで、「10年後、20年後、考えるべきことはいっぱいあるが、今を乗りきるためには、待遇改善するしかない」と訴えると、石原知事はその場ですぐに給与アップや分娩手当の導入などを約束し、30億から40億円規模の予算をつけてくれました。ですから、今の都立病院は周産期医療の提供体制が非常に行き届いています。
写真左:産科医療最大の危機と呼ばれた「福島県立大野病院事件」の無罪判決を受け、日本産婦人科学会理事長として声明を発表
写真右:若き日の吉村泰典先生。産婦人科医として、たくさんの出産に携わってこられました
産科医療を建て直すために
ところで、産科医療の危機は、東京に限ったことではありませんでした。
日本全国で閉院になる病院が増えていましたから、当時の舛添要一厚生労働大臣に、分娩費を上げてくれるように要請し、出産の際に公的に支給される出産育児一時金を38万円から42万円に4万円増額してもらいました。それによって中小の病院は経営的に楽になり、産科医の待遇も改善されたのです。
その一方で、未受診妊婦の問題も解決しなければなりませんでした。妊娠後に妊婦健診を受診していない妊婦さんが、出産直前に病院に駆け込むわけです。それでは、母体に危険が及んだり、早産になることもあり、出産のリスクが高まります。妊婦さんが健診を受診しない理由はお金がないからです。ですから、妊婦健診の回数を増やし、10万円前後の支援が得られるようにして、お金の心配をしなくても病院に行けるようなシステムをつくりました。
これも、舛添さんが聞き入れてくれて実現しました。790億円かかっています。
赤ちゃんは毎年100万人生まれますから、出産一時金が1人4万円アップで合計400億円と合わせると、総額で1190億円の国費投入ですね。それによって出生率(注)は2006年の1・26から、現在の1・46へと微増しました。安倍首相が目指そうと言う1・8は極めて高い数字で難しいと思いますが、お金を使わないと出生率は増えないということです。
そうした仕事をしてきましたから、政治でしかものは動かないと痛感しました。医療だけやっていても、現実は動かない。ですから、以前参院選擁立の動きがあったときは、応じようかと真剣に考えたくらいです。(笑)
(注)合計特殊出生率。1人の女性が生涯に産む子どもの平均数。
女性が活躍している国では出生率も高い傾向にあります
僕は元祖「イクメン」と呼ばれます。妻が忙しくしていましたから、保育園の送迎から家事育児にも積極的に参加しました。子どもが中学生のときには妻が単身赴任していましたので、家事全般、子育ては僕がやっていました。
子育ては難しいですよ。でも、勉強になりました。子育ては自分育てでもある。少子化対策などの国の仕事をするときにも、その経験が役立ちました。
女性は、仕事との両立に悩んで結婚や出産が遅れることが多いようですが、世界を見ると、女性が活躍している国は出生率も高い傾向にあります。それだけ働く女性が子どもを産める環境が整っているんです。
女性が仕事と子育てを両立できるように、子育てを国が支援していかないと、絶対に子どもは増えません。
僕は特に意識改革が大事だと思っています。社会、男性、企業の意識です。企業はずいぶん努力していると思いますが、どうしても性別役割分担意識というのがあるんです。「子ども子育ては女性だけでなく、二人でするんだ」ということを、男性が意識しないと駄目ですね。
国が子育てを支援していかないと、絶対に子どもは増えません
日本では、「結婚をしないと、子どもを産んではいけない」という考えが前提にあり、婚外子は2%くらいです。欧米とは全く違う。海外のように1人親でも子どもを育てられる仕組みを考えていかないと、アベノミクスで言う出生率1・8などは無理だと思います。
今のままでは、2060年には日本の人口が1億人を切ります。65歳以上の高齢化率は40%で、子どもは1年に50万人しか産まれません。世界のどの国も経験したことのない未曾有の超少子化国家です。社会保障制度もどうなるか。65歳以上の高齢者1人を1・2人で背負うことになり、今から対策を始めていかないと、もはや国も成り立たちません。
日本は今、子ども・子育てにGDPの1・2%ほどのお金を使っています。GDPが500兆円ですから、約6兆円です。しかし、日本と同じような少子化からV字回復したヨーロッパの国々では、GDP比で3%くらいのお金を使っています。子ども・子育てにはお金がかかるという認識を持たないと、出生率は上がりません。
そして、質の向上です。児童手当が1人15000円支給されていますが、これが本当に子どもたちのために使われているかは疑問です。むしろ現物給付で、保育園や小学校に行くのにお金がかからない状況をつくるべきだと思います。
僕は2人の少子化担当大臣のもとで働きました。森まさ子議員と、有村治子議員です。安倍政権発足当時のスローガンであった少子化対策は影を潜め、今は一億総活躍社会です。「女性活躍推進法案」が国会で通りましたが、これはお金を使わなくても、企業が何らかのことをしなければならない制度をつくってしまえばできる。ところが、少子化の問題はそうはいきません。お金を使って子育てしやすい環境をつくっていかなければなりません。
日本の周産期医療は世界でもトップレベルです。新生児死亡率、妊婦死亡率、周産期死亡率という統計でも一番低い。それに日本人は慣れてしまっているところがあります。それが安全神話です。
しかし、お産には予期せぬことが起きる難しさがあります。アメリカの妊産婦死亡率は日本の3倍くらいあるんですよ。日本はそういう意味では非常に恵まれた環境にあります。ですから、もったいないですね。せっかくの環境があるのに子どもが増えないのは。
少子化の問題というのは、社会、経済、その他すべての問題が複合的に絡み合って起きているので、ひとつを解決してもなかなか解決できないんですよ。日本の少子化はここまで来てしまった。非常に危機的な状況にある、ということですね。
吉村泰典先生の著作から |