南東北病院グループ / リハビリテーションへの取り組み(1)
社会生活への復帰を支える南東北グループのリハビリテーション
理学療法士としても、国会議員としても、〝寝たきり〟と闘ってきました。
リハビリテーション部門
山口 和之 ゼネラルマネージャー
Kazuyuki Yamaguchi GM
元衆議院議員 前参議院議員
理学療法士 介護支援専門員
医療創生大学客員教授(令和元年~)
脳神経疾患研究所役員(令和元年~)
健康未来政策研究所所長(令和元年~)
【 Profileプロフィール 】
1989年に南東北グループのリハビリテーション部門立ち上げに招聘されて以来、予防・治療・リハビリテーション・地域ケアの発展に尽力
衆議院議員、参議院議員を経て、南東北グループ リハビリテーション部門 ゼネラルマネージャーとして現在に至る
【 理学療法士として 】
理学療法士・介護支援専門員(第1回)
福島県立リハビリテーション飯坂温泉病院、福島県立医科大学附属病院勤務
総合南東北病院リハビリテーションセンター
福島県理学療法士協会 会長
日本理学療法士協会 元理事
藍野大学 非常勤講師
医療創生大学 客員教授
【 国会議員として/医療介護に関する活動 】
脳卒中・循環器病対策基本法の成立を実現
自立支援へのパラダイムシフトを国の基本方針とすることを実現
介護報酬において自立支援のためのインセンティブ導入を実現
特区を活用した訪問リハビリステーションを実現
リハ職による喀痰等の吸引を実現
がんリハビリテーションの普及に規制撤廃を実現
【 趣味・特技 】
・水泳(国体・インターハイ出場)
・スキー(1級)
脳卒中の撲滅という理念
南東北グループの中核施設、「総合南東北病院」は、1981年、福島県郡山市に「南東北脳神経外科病院」という脳神経外科の専門病院としてスタートしました。
当時は脳卒中がとても多く、日本人の死因第一位とされていました。しかし、脳神経外科はまだまだ一般的ではなかった時代です。そこで、脳外科医として顕微鏡手術を学び、研鑽を積んでいた渡邉一夫総長が、「助からない命を助けたい」と、脳神経外科を専門とする病院を開くことになったわけです。
そのときの理念は「脳卒中の撲滅」です。渡邉総長は365日、毎日、脳外科手術をして働きましたが、同時に「脳卒中は予防から取り組まなければならない」と痛感されたそうです。そこで、地域の皆さんに、脳卒中の病気と治療の説明、予防のための講演活動を積極的に行い、高血圧を防ぐ生活習慣、食生活の啓発を続けられました。
次第にそうした活動が実を結び、脳神経外科への認識も高まりましたが、新たな課題にも直面しました。それは、「手術で命は助かっても、脳卒中の後遺症で障害を持つ人をどう支えたらよいか」ということです。そこで、リハビリテーションの導入が急務とされ、福島県立医科大学附属病院に勤務していた私が、縁あって渡邉総長から声をかけられたのです。
リハビリテーションに力を注ぐ渡邉一夫総長への共感
私は当時、医大病院で整形外科疾患のリハビリの仕事をしていました。学生時代は水泳の選手でしたので、スポーツ選手のトレーナーのようなかたちでリハビリの技術を活かす仕事をしてみたいと考えていたところでした。渡邊総長からはそんな頃に声をかけられ、心を動かされました。実は私は医大病院に勤務する前に、県立のリハビリテーション専門病院で脳卒中の患者さんのリハビリに取り組んだ経験があり、脳卒中の撲滅という渡邉総長の理念には、深く共感するものがあったのです。
その当時、脳卒中の後遺症の患者さんの多くは、重度の手足の麻痺や脳の障害から、しゃべることも難しいといった状態で寝たきりになる方が多く、もっと早い段階からリハビリに取り組んでいたら、寝たきりにならずにすんだのにと思うこともありました。痛切な悔しさがありましたから、リハビリに力を入れたいという渡邉総長からのお誘いに応えてみたいという気持ちになり、勤務先の医大病院を退職しました。
アメリカで急性期のリハビリに触れる
南東北脳神経外科病院は、リハビリテーションセンターを立ち上げることになります。それが平成元年です。私が渡邉総長に声かけされたのは、その前年のことで、リハビリテーションセンターのオープンまでにはまだ少し時間があったので、医大を退職した私は、少し猶予をいただき、アメリカの進んだリハビリの現場を知りたいと、カリフォルニア州の有名なリハビリ専門病院へ見学に行くことにしました。
そのとき「それなら、ちょっと足を伸ばして行ってみなさい」と、渡邉総長から紹介されたのがメリーランド州の大学病院でした。カリフォルニアからシカゴ経由でメリーランド州ボルティモアにある病院までは「ちょっと」という移動距離ではありませんでしたが。(笑)
大学病院では、突然の訪問にも渡邉総長のところのスタッフということで大歓迎されました。急性期の医療からリハビリテーション専門病院の役割など、徹底的にレクチャーを受けました。最も驚いたのは、急性期のICUにも専属のリハスタッフがいて、超急性期からリハビリを始めていたことでした。日本ではひと月ほど経ってからリハビリを始めるのが普通でしたから、その違いには本当に驚かされました。
寝たきりとの闘い
日本は寝たきりが多い国でした。帰国してから立ち上げた新しいリハビリテーションセンターでは、急性期の早い段階からリハビリを開始していきました。手術した翌日からリハビリをするような全国でも先駆けとなる取り組みも始めました。脳卒中の障害を最小限にして最大限に回復するというチャレンジです。
それはひとことで言えば、寝たきりとの闘いです。南東北グループでは介護にも力を入れ、介護老人保健施設(老健)をつくり、通所、訪問のリハビリテーションを充実させ、訪問看護ステーションも地域のなかにたくさんつくってきました。それは、患者さんやお年寄りが寝たきりのような状態になることを防ぎ、自立した生活を支えるために必要だったからです。家に戻れない方のための福祉施設、特別養護老人ホーム(特養)もつくりました。
私は理学療法士(PT)として、寝たきりと闘い、「寝たきりを減らしたい」「少しでも寝たきりになる時期を遅くしたい」「麻痺があっても自立できるように支援したい」、働いている人なら「一日も早く社会へ復帰できるようにしたい」そう考えて頑張ってきました。
途中から国会議員になっても、一貫してひたすら30数年、〝寝たきり〟との闘いを続けてきたようなものです。
「脳卒中・循環器病対策基本法」に込めた私たちの思い
日本は寝たきりが多い国でした。帰国してから立ち上げた新しいリハビリテーションセンターでは、急性期の早い段階からリハビリを開始していきました。手術した翌日からリハビリをするような全国でも先駆けとなる取り組みも始めました。脳卒中の障害を最小限にして最大限に回復するというチャレンジです。
それはひとことで言えば、寝たきりとの闘いです。南東北グループでは介護にも力を入れ、介護老人保健施設(老健)をつくり、通所、訪問のリハビリテーションを充実させ、訪問看護ステーションも地域のなかにたくさんつくってきました。それは、患者さんやお年寄りが寝たきりのような状態になることを防ぎ、自立した生活を支えるために必要だったからです。家に戻れない方のための福祉施設、特別養護老人ホーム(特養)もつくりました。
私は理学療法士(PT)として、寝たきりと闘い、「寝たきりを減らしたい」「少しでも寝たきりになる時期を遅くしたい」「麻痺があっても自立できるように支援したい」、働いている人なら「一日も早く社会へ復帰できるようにしたい」そう考えて頑張ってきました。
途中から国会議員になっても、一貫してひたすら30数年、〝寝たきり〟との闘いを続けてきたようなものです。
(注1)正式には「循環器病対策基本法」
(注2)脳卒中・循環器病医療の均てん化とは、全国どこでも標準的な専門医療を受けられるよう、医療技術等の格差の是正を図ることを意味します。
[南東北病院グループ / リハビリテーションへの取り組み 目次 ]
〇 特集セラピスト:はじめに
① 社会生活への復帰を支える南東北グループのリハビリテーション
南東北グループ リハビリテーション部門 山口 和之 ゼネラルマネージャー
② 救命救急治療を終えた方、手術をされた方の急性期リハを担う
総合南東北病院 リハビリテーション科 若林 由起子 科長補佐に聞く
③ 急性期から回復期、在宅までを担う 首都圏リハビリテーションの拠点
総合東京病院 リハビリテーション科 原島 宏明 科長に聞く
④ 急性期に加えて回復期病棟を新設最新のADL室でトレーニング
新百合ヶ丘総合病院 リハビリテーション科 松本 恭徳 主任に聞く
⑤ 最新の手の訓練用ロボットを導入し一人ひとりに最適なリハビリを提供
世田谷リハビリテーション病院 リハビリテーション部門 渡辺 重人 科長に聞く
⑥ 脳卒中のリハビリに強みリハビリロボットも7年の実績
総合南東北病院(岩沼市)リハビリテーション科 安孫子 洋 課長に聞く